撮り鉄と整形沼
残念ながらどちらも自分とは相容れない感性なのですが、
よく考えると対象が異なるだけで、両者の考え方は非常によく似ています。
まず第一に美を求めていること。
もう一つが問題なのですが、両者とも美の基準を仲間内で形式や基準に落とし込んで、
多様性を排除する傾向にあることです。
例えば撮り鉄。車体全体が写っていなければいけないとか、角度がどうのとか。
独自の画角を目指すのではなく、誰が決めたかわからない要素を基準に写真を取ろうとして、
大勢が同じ画角で撮ろうとします。
結果的に撮影ポイントが混雑したり、挙句元からある木などを切り倒してしまったり。
撮らない鉄からするとどうしてそこまで同じ画角にこだわるのか理解できず、置いてけぼりになっていて、
結果的に撮り鉄が行った迷惑な所業のみにフォーカスを当てることになります。
これの女性版が整形沼ですね。容姿も美の基準はさまざまで、なんなら男性側の好きの基準も一様ではありません。
にもかかわらず、画一した基準の顔を作ろうとする。BMIや顔のバランスまでも科学的根拠のない数値に落とし込んで、
元の顔の特徴を完全にスポイルして作り込んでしまう。
やはり整形していない層からすると、整形するメリットとデメリットの観点、金銭的な面からいわゆるアコギな商売に手を染めてまで整形する理由が理解できません。
多様的な概念に対して、自分内、身内でのみ適用するなら何も文句は言われません。その概念を他人に押し付けようとした瞬間から戦争が始まります。これまでの戦争の大半は領土侵略か宗教戦争です。
撮り鉄も整形沼も、ある種の神を無自覚に信仰している様なのかもしれません。そう考えると高額のお布施も少し理解できますね。
触らぬ神に祟りなしです。

