科学技術とリスクについて
というレポートを書いたので、せっかくなので掲載します。
正直駄文ですが・・・
現在の我々の生活は、科学技術の発展に伴ってより快適、便利、健康に営むことができるようになり、また今後もより発展していくことは間違いないだろう。主に生活に影響が大きい分野として、車や電車やその他の日常に関わる材料、製品の開発などの工学系、健康に関わる医療が挙げられる。これらの技術による事故の原因は開発者側、ユーザー側のどちらかが、またどちらもがなりうる。本レポートではこの二つの分野にスポットを当て、これらの研究体制と新製品開発の利点と危険、リスクについて述べていく。
新製品や新材料を開発する場合、主に二つのアプローチがある。一つは過去のデータを参照し、予想されうる特性を持った材料や製品を開発する方法である。もう一つは全くの偶然や新規に発明された材料や製品である。前者の場合、その材料の特性はある程度知られているため危険は少ないように思える。しかしこれは開発者の視点であり、技術は進歩するにつれて複雑になるため、開発者とユーザーの間に大きな隔たりができてしまうのだが、ここに大きな危険をはらんでいる。具体的な例は、チェルノブイリ原発爆発事故や東海村の核施設の臨海事故である。チェルノブイリ事故の原因は諸説あるが、どちらも捜査員の些細なミスから大事故に繋がっている。日常的な例としては電子レンジに金属を入れたら火を噴いたや洗剤を混ぜたら有毒ガスが発生した等がある。これらは一貫して原因→過程→結果という専門的な知識が必要な作業を、原因→結果という知識しかなかったために、間違った操作を行った結果の事故である。このように科学技術が進歩することによって、ユーザーには知識の欠如による危険が伴う訳であるが、残念ながらこれを根本的に解決する策はなく、企業などの徹底した商品説明、およびユーザーによる知識の学習を日常的に心がけなければいけない。
また技術が発展するに従い、大きな力を小さな力と簡単な操作で使用できるようになったことで様々なことが便利になったが、これにも大きな危険を伴う。言わずもがな、多くの人が使用する自動車や電車、飛行機などがその代表例である。これらは遠隔地へ、非常に快適により早くたどり着けるようになったが、一度事故が起こると多くの被害者を生み出してしまう。例えば自動車事故は年間数千人の死者を出し、電車や飛行機も乗客や事故は生地点近隣の住民にも被害を被る。しかしそれでも、人は自動車や電車、飛行機を日常的に使用しているのである。これらのことから普段はあまり意識しないが、乗り物に乗ることは、明らかなリスクを冒した利便性の享受をしている例である言える。これらの事故の原因は開発者側、ユーザー側のどちらもなりうる可能性があるが、開発者側に関しては企業努力等によって減らせる余地はある。
全くの新規な材料を開発した場合は、上記の危険の他により大きな危険を伴う。特に開発者側がその危険性を認識していない場合、大きな事故が起こる。四日市喘息や水俣病等がその例である。今であれば工業廃水を河川に垂れ流すこと等もってのほかであるが、当時は原因物質の特性や危険性を熟知していなかったために起こった事故である。また、直接的な害はないが、フロンガスによるオゾン層の破壊、ダイオキシン等の環境ホルモン等の環境被害も観察された。これらを開発者側から予防することは、健康被害がないことや、地球という非常に複雑なシステムに影響を及ぼすこともあり発見が難しく時間もかかり、新規な材料を開発していく限り危険発生を回避するのは困難である。しかしユーザー側からゴミの分別や安易にゴミを焼却しなければ、理想的にはどれも防げるものである。つまり、これらを使用する場合『どこからか漏れて環境に影響を及ぼすかもしれない』というリスクと同居することとなる。結果として、新規の材料や新製品を開発した場合はそれの利便性と引き換えにどこかで環境に重大な影響を及ぼすかもしれないというリスクを天秤にかけて使用することとなる。
医療品の場合は工業品とは全く別のリスクが存在する。なぜなら、全く新規であれ、予定の物質を作ったであれ、最終的に人体に投与し、副作用なく目的の作用することを証明しなければならないからだ。それは度重なる実験を繰り返し、綿密な観察を行うことで可能になるが、人体という複雑で個性的な環境では、一律な結果を得ることが非常に難しいからだ。もちろん、前段階として動物実験を繰り返し、過剰量の投与を可能にしてからの臨床実験に移ると考えられる。しかし、実験動物と人間とで投薬結果が全く等しいということは珍しいと考えられる。またこれらの結果を得るためには、数多くの症例を必要とし、副作用の調査等も必要である。結果として、開発者側には効果の善し悪し、副作用の有無等の責任が生じ、ユーザー側も全く同様のリスクを背負うこととなる。また、ユーザー(患者)が医療品を使用する場合、多くは緊急を要するため、現状と薬の副作用のどちらがましかという選択を迫られ、場合によってはかなりのリスクを背負わされる事となる。これは工業品とは大きく異なる点だと考えられる。
これまで責任の在処を開発者側とユーザー側に分けて述べてきた。どちらにしても、私は科学技術は利便性に対するリスクは限りなくゼロにすることが絶対条件と考えている。それは科学技術が100%人のためにあると考えているからだ。願わくば、技術を悪用したり戦争の道具として用いて欲しくない。新技術が生まれた時点では、善悪はなく、ユーザーの使い方次第で善し悪しが決まっている。ぜひ技術を平和利用して頂きたい。