年度変わりの自己紹介
状況整理も兼ねて、自分の半生と最近の出来事をつらつらと語ってみる。
東京生まれ、千葉育ち、たまに父の仕事の関係でオーストラリアに住むも高校までは千葉暮らし。
その後、東北大工学部に現役で合格して修士まで6年間仙台でピュアに過ごす。
大学院では高分子微粒子の研究に没頭。今思うと研究の楽しさは全てここから始まっている。ついでにサーバー家業もここから始まってますね。
運良くリーマンショックの翌年に某タイヤ企業に就職し、吉祥寺のワンルームでバイクと濃密な時間を過ごす。
この辺までは順風満帆だったんですけどね。その後からちょっとややこしくなってきます。
企業研究と肌が合わず、アカデミックな環境に戻りたいが、30過ぎて貧乏な博士になるのも辛いと思い、医学部編入を志す。会社辞めるといよいよ後が無くなりそうで怖かったので、誰にも言わず、仕事もしながら勉強してました。この時期が一番辛かったです。
3年くらい医学部入るのにかかるかと思っていたら、1シーズンで千葉大学に引っかかり、3年次編入を果たす。貯金を食い潰しながら4年間のほほんと2度目の学生ライフを満喫する。バイクは学費の足しにした。
大学入学する直前の会社のテニスコートで今の妻と出会う。学生の身分になりお金もないし、周りにはそれこそいい大学出の方々がたくさんいらっしゃるので、なんとなく引き気味になりつつもデートに誘い続け、2年たったころに初めて妻からデートに誘われ交際開始。
会社入って4年間彼女できなかったんですよね。ちょっと尖り過ぎてたんですかね。
結局交際1年くらいで結婚する話が出始め、その一年後くらいの医学部卒業直前に入籍、同居開始。色々あって仕事始める数ヶ月手前で資金が0になり、妻のヒモになる。結婚指輪は買ってもらいました。
学生のうちから研究室に通い、医師になった後もなるべく研究を続けられる環境にするために、研究室の教授と臨床の教授に掛け合い、研修医2年目から千葉大学の大学院に進学することとなる。一年目はがっつり臨床をするために埼玉の某野戦病院で研修をこなす。
研修医2年目の5月に長男誕生。その頃から子育てに振り回されっぱなしですね。
6月に車購入。働き者の妻のお陰で約1年でローンを完済済み。
大学院は教授の計らいで卓越大学院を受験し、無事に採択される。研究費が出たり、給料が出たりで薄給の大学病院研修医にとっては助けの船となる。英語勉強しておいて良かった。
千葉に帰ってきてから2年で家を建てると妻と話し合っていたので、研修医2年目の10月頃から住宅展示場に出入りし始める。最初は住友林業一択かと思っていたけど、年明けくらいに三井ホームに決めて、打ち合わせ開始。土地は父名義の祖父の住んでいた土地を借りられることになったので、上物に全力をだし、7500万円ほどとなった。お陰ですごく良い家ができましたよ。
無事に研修医を修了し、脳外科の専攻医へ。一応教授と話して週2は研究、週3で臨床をすることに。ただやっぱり待ったなしの臨床に研究の時間を割かれることはしばしば。子供も手がかかるようになってきて、心が三つに裂かれたまま過ごした一年だった。人生で一番無力さ、無能さを噛み締めていた一年でもありました。ストレートで医者になった人達が羨ましい。ただ途中で医局をやめてしまうと大学院でのバイトの斡旋も無くなってしまうので、なんとか踏みとどまっていたら、少しずつリズムを取り戻し、後半はのらりくらりとこなすことができました。
そして今年。年度末に受けた全方位イノベーション創発博士人材養成プロジェクトにありがたく採択され、研究費が倍増する予定。臨床もお休みで、昼に研究、夜のお仕事(当直)をしながら過ごす日々が始まりました。常勤先もないので、身分は完全にアルバイト学生です。これが金に困らずに研究できる環境というわけですね。
この2年間で卓越大学院の卒業要件を満たすような結果を出せるように頑張っていきます。
卒業の進路も今の所未定です。専門医取れるまで臨床を挟むか、ポストを見つけてポスドクするか。僕の人生はこれからどうなるんでしょうね。