なぜ専門家はひろゆき論法に弱いのか

少し前ではF爺と、最近では政治家の米山先生との舌戦が注目されたひろゆき氏。

専門家に対して知識なしで論破していく姿が痛快で指示を得ていました。

特に最近の米山先生との議論で少し思うことがあったので、なぜ知識も豊富な専門家がひろゆき論法に負けてしまうのかを考えてみたいと思います。

自分は自然化学が専門なので人文科学はまた経路が違うかもしれませんし、自分がひろゆき氏と議論したら一言目で論破される自信があります。

理由は主に4つ。

①専門家は例外に弱い
②専門家は対立的ディベートに弱い
③専門家は人格攻撃に弱い

④専門家はひろゆき氏と議論するメリットがない

①専門家は例外に弱い
自然化学系では現象に対して法則を見つけていくことが仕事となります。人文科学や政治の世界でも、まずは大きなヒトモノカネの流れを把握し、その現象について議論します。

その中で当然例外というものが発生する訳です。自然化学では外れ値などど言って統計から外しますし、生物系に至ってはp値などを使い、逆に5%は同じ挙動をしても全体として差があると判定されます。

政治などでも「最大多数の最大幸福」を原則として、まず大枠の精度を作り、そこから漏れる人は個別に対応しましょうという動きをするでしょう。

つまり、専門家は例外に対して深く考察していないのです。その時はしてもしょうがないのです。
ところがひろゆき氏はその例外を攻めてきます。

米山先生との議論の時も、病院から2時間かかるひとはどうするんだと責めていましたが、それは個別や現場の判断となり、制度策定の時は細かく決めていないことが多いはずです。

ですから、専門家はそこはまだ詰められていないとしか回答できず、それに対してひろゆき氏があなたの理論は完璧ではありませんと結論づけることであたかも論破された様な雰囲気を出されるのです。

②専門家は対立的ディベートに弱い

自然科学系では口頭で議論する公の場は学会か予算審査のことが多いと思います。純粋な人文科学でもそうでしょう。政治家や弁護士ともなると、いわゆる対立型ディベートの機会は多くなると思いますが、いわゆる専門家は対立的ディベートの機会は少ないです。

先端物理学などの理論が固まっていない世界は別として、そうでない場合は基本的に肯定的に議論が進行します。

ひろゆき氏は特段権限も与えられていないですし、彼自体が議論に対するゴールを明確にしていませんから、議論が瑣末な事項に飛びがちです。その結果①でも述べた様に例外事項の様な重箱の隅に食いついていくのです。

専門家は肯定的な議論で間違っているところやまだ検証が済んでいない部分を指摘される程度ですから、根底から否定されることは滅多にありません。

ましてや議論のゴールを設定していない対立的ディベートなんてほとんどやったことがないので、全てを否定される様な議論では次第に口数が減っていって、レスバに負けてしまうのです。

③専門家は人格攻撃に弱い
弱いというか公の議論の場で罵倒や人格攻撃されることはありません。した方の人格が疑われます。
ひろゆき氏はなんの臆面もなくするんですよね。

もちろん専門家が人格攻撃を返すこともありません。

なので見ている側は一方的に責められている様な印象を受けます。

④専門家はひろゆき氏と議論をするメリットがない
ひろゆき氏は特段権限を持っている訳ではありません。ひろゆき氏を論破すれば予算が入る訳でもありません。

つまりそもそも議論に勝とうとしていないです。なので、ひろゆき氏の一人相撲ですかね。

Twitterでも反応されるのは明らかに彼の主張が間違っている時に、そのことだけを否定します。もちろんひろゆき氏そのものへの人格攻撃はしません。(F爺はけっこうしてましたね。)

なので、否定から入り、重箱の隅を突かれ、人格攻撃を跳ね除けてまで彼を論破する必要がないのです。

多くの人は彼の論法に閉口しているだけであり、ひろゆき氏の意見が建設的になった事例はあまりないのではないのでしょうか?

以上の四点より専門家はひろゆき論法に負けてしまうのです。

ひろゆき氏はこれまで、偉そうな老害に痛烈な批判を浴びせることで、痛快さやエンターテイメント性を買われ、一定の支持者を獲得してきました。これは大物にツッコミを入れたり、暴言を吐いたりするダウンタウンやとんねるずの様な存在だったと思います。

人を騙そうとする人や無理筋に自分の意見を主張する人に対しては非常に面白いですが、真面目に取り組んでいる人に対してこの論法を投げかけると不愉快さしか残りませんね。

一方で彼ももう直ぐ50歳になろうとしています。彼自身の実績は昔取った杵柄です。これからの議論の相手が彼より若い人になることもこれから出てくるかもしれません。

そうした時に今の様に全てにおいて否定的なスタンスのままでは、今度は彼自身がただの老害に成り下がってしまうことでしょう。

これからのひろゆき氏の議論スタンスにも注目していきたいと思います。