ベストのない選択肢に対する意思決定を考える
科学技術の進歩は、生活に選択肢を増やすことである。昔はせいぜい馬に乗るしかなかったところが、今は自転車、車、電車、船、飛行機と数多くの選択肢から選ぶことができる。それぞれの乗り物には向き不向きがあるが、適材適所で用いることによって、簡便、楽、安価、高速に移動することができるようになった。
医療についても同様である。これまで、手をこまねくことしかできなかった疾患に対して、薬や手技により、根治、寛解、延命が可能となり、平均寿命の延びが示すように、明らかに人類の繁栄に貢献している。
ただし、医療が他の技術と大きく異なる点は、寿命をやみくもに伸ばすことと個人やその家族の幸福度の向上に相関関係が薄いことである。多く知られているところでは、終末期医療や介護、認知症、重度の障害を持って生まれてきた子などが挙げられる。彼らの治療に対する最適解はなく、あるのは決断と納得である。このことは、技術の進歩によって選択肢が増えたことで発生した、おそらく過去の人類は直面したことのない問題である。
このようなベストのない選択肢に直面した時に、様々な対立が生まれる。それは、医療者と患者、家族間であり、家族間や医療者間でも起こり得る。それぞれの思想、信条に基づいた答えを持つことで他人とは異なる選択肢を選び、他者を自分の考えに追随させようとするからである。解決には最後には誰かが決断し、多くの人が納得する解をもって、その後の人生も歩んでいかねばならない。
この決断に自分が医師として何ができるかを考察した。
一つは、可能な限りの選択肢を知ることである。これまでに多くの犠牲を払って人類が獲得した医学的知識はもとより、日進月歩進んでいく最先端の治療についても注意を払い、過去にない最新の選択肢をいつでも提示できるようにしておく。一言でいうと勉強する、ということである。医学的な客観的データだけでなく、医療制度なども十分に考慮したうえで、起こりうる未来やQALY(1)を詳細に想定し、患者に提示することは医者としての責務であると考える。
もう一つは信頼を得ることである。客観的データを押し付けるだけでは、納得しうる決断は得られない。患者や家族の、思想、文化的背景にも踏み込む必要がある。患者の納得と医学的な最適解が必ずしも一致しないことが、医療の大きな難しさであると感じている。医者にとっての思想の根幹は科学的根拠に基づいて成り立っているが、患者によっては、医者の言うことより、宗教的思想や信頼しうる人、メディアからの助言に傾聴する人も存在する。どちらを信じるのが良いかということではなく、双方とも自分が納得している情報を信頼しているだけである。このように、時に合理的な行動から遠ざけるくらい、納得するということは意思決定に強い影響を及ぼし、覆すことは難しい。一方、一度納得できれば、多くの災難も互いに協力し合い、乗り越えられるのが人間であり、社会であると考えており、非常に重要なプロセスである。したがって、患者にはベストのない選択肢に対し、納得した決断をしてほしいし、自分が患者になってもそうしたい。しかしながら、やはり医学的根拠のない、あまりにも眉唾な治療法に関しては、患者本人はもとより、その家族の不幸をも招くので、患者や家族の決断に介入し寄り添えるよう、日ごろのコミュニケーションにより信頼を得られる医者たりえるよう、努力すべきであると考えている。では具体的にどうすれば信頼を得られるか、は今後の人生一生かけて、学び習得していく必要がある。
今回のIPEでは、上記のような思想から、患者や家族間の納得という点を重視し、客観的データでは不利になるであろう選択肢もあえて残し、医者の立場からの最適解を示しつつ、患者に選ばせるという回答を作成した。一方で講評では、選択肢を残すやり方は減点対象であるとの厳しい言葉を頂き、意思決定の難しさを痛感した。医師主導のチームビルディングに疑問がもたれている一方で、医師としての責任を全うしたリーダーシップが求められているといった矛盾にどこまで柔軟に対応できるかが、これもベストのない選択肢として、自分が医師になった時の大きな課題であり、医師として、また人間としての技量が問われていると感じた。
“ベストのない選択肢に対する意思決定を考える” に対して16件のコメントがあります。
コメントは受け付けていません。
流し読みだけど、西洋医学村に受け入れ難い内容を書いたように思いました。
癌治療なんて、その最たるもんで、日々ひしひしと感じるね。
抗がん剤と言う名で、治療効果も疑わしいし、自身の免疫系を破壊する、猛毒を点滴してみたりね。
その辺に直面している人の意見を聞きたいなら聞かせてあげるよ!笑
正直書いてて、あなたのことが頭に浮かび続けてたんですよ。
医学はあくまで統計学だから、効く人もいれば効かない人もいるわけだけど、
患者の立場にしてみたら1分の1の話じゃない。
統計から漏れたりしたらそのケアはどうするんだとか。
そこはテーマ上書ききれなかったんだけど。
ただ抗ガンについては、恐らく現在の技術上の最善手を打っていると思う。
それでもやっぱり納得いく様にしないとそれだけでQOL自体も下がるよね。
端的に申し上げますと、包括的で多面的で、全体最適な考え方で、基本的思考ロジックとして、永続的に有るべき考え方を論じられている点、敬服致します。
この論じた文の価値を見出し、評価を与えてくれる人が、どの程度居て下さるのか…
周りの者を亡くしたり、それを食い止めるのに何かしたりしなかったり、の身からですが。
恐縮てすが、包括的で多面的で、全体最適な考え方で、基本的思考ロジックとして、永続的に有るべき考え方を論じられている点、敬服致します。
この論じた文の価値を見出し、評価を与えてくれる人が、どの程度 居て下さるのか。
表題の「ベストの無い〜」は、見た瞬間にピンと来て、読み進めるうちに凄く共感を覚えました。
コメントありがとうございます。
むしろ考え方が甘いとかお叱りを受けるんじゃないかと戦々恐々としてたので、素直に嬉しいです。
今はまだまだひよっこなので、理想論しか語れませんが、あえて口に出して明文化することでなんとか理想に近づいて行きたいと思います。
素晴らしい考えだと思います。
ノルマから解放された医療を行いたいけれど、経営と医療を同時に行うと、お互いに時間が限られてしまうことだらけ。
間に合わなかった悲しみを糧に勉強するしかない状況もあるし。
kiwamaq先生がどういう医師になるのか楽しみです。
患者に選択肢を与えるということは、選択した責任を患者に負わせるということ。
選択肢を残さないということは、その医療行為に対しては医師が責任を負うということ。
患者としてはあらゆる可能性を排除したくないので、選択肢を提示してもらいたいという要望はありますが、医師という立場でその要望に応えるのは不適切かと思います。
あくまで医師免許を持っていて、医学的知識を持った個人として選択肢を提示するのであれば問題ないかと思いますが、医師としての立場と個人としての立場を明確に区別することは出来ないので、実際問題難しいのではないかと思います。
称賛が並んでいるのであえて批評を書かせてもらいます。
ずばり、冗長で読みにくいです。
重複した言い回しが目立つ上に主語の脱落、句点の多用で文章全体が散らかっています。
減量する前のアマチュアボクサーというか、受験生の小論文みたいというか。半分の文字数で書ける内容だなぁ、と思いました。
論点を短文で箇条書き
↓
肉付け
ここで終わらせると贅肉だらけのぶよぶよな文章にしかならないのでがんばって減量してください。
内容的には問題ないということですね。ありがとうございます。
なるほど、医者としての責任ね。確かにそれは足りてなかったかも。
コメントありがとうございます。
色んな制約から、助け切らない患者さんをいることに直面する日がいつか来ると思いますが、その日まではせめて理想を掲げて行きたいと思います。
上記の課題について真剣に向き合われており、職業倫理の高さを敬服いたします。せっかくですのでごく簡単に私見を。
ベストの無い、という状況がいくつかの要素に分解できるのかもしれないと思いました。まずひとつは価値観の個別性です。個人の価値観に応じて要因への重みづけが異なることで、最適解の個別性が生じる、ということが貴殿の主要な関心であるように思います。二つ目は、情報の不確実性をどう捉えるか、という点です。これは一つ目と類似していますし、一つ目の点の部分集合と考える事もできるかもしれません。コメントにある統計云々という話は情報の不確実性についてのことかと思います。最後に、関係者のリテラシーも当然重要になるかと思います。講評における「選択肢を残すのは好ましくない」という意見が一般の場合に当てはまるのかどうか私には疑問です。リテラシーの高い患者には選択肢を提示しても良いだろうと思いますし、私は提示して欲しいです。ただし全ての患者に選択肢を示すべきとは思いません。
この他の視点でも「ベストが無い」状況を要素に分けることができると思います。全てを一度に解決することは出来なくても、個別の要素に関しては解決法を見つけられるものもあるのでは無いかと思いました。
コメントありがとうございます。この問題の難しさはおっしゃる通り一般解が無いところにあると思います。
遺伝学的なテーラーメイド医療と同じように、どこまで個別に考えられるか、考えなきゃいけないかを見極めるのが技量になっていくわけですね。
アウトプットを内容と体裁で別々に評価してくれるのはあなたの理解者だけです。お忘れなく。
僕も同じ感想を持ちました。選択肢を患者に委ねるのは一見ベストな回答のようで逃げの側面もあるのかなあと。
あらゆる可能性を考慮しながらその時々の自分の行いうる限りのベストを尽くす。しかないんでしょうね。
よく医療ドラマで見る医師の「最善を尽くします」は、「絶対に助けます」と言ってほしいなあ。。。と思うんですが。
ほんと、重い責任ですね。想像するだけで精神崩壊しそう。
はまー
この点は僕の想定外でした。本当に気をつけます。
絶対助けますって言って助けられなかったら訴訟なんで言えないのですよ。