正しさとは何か
昨今のコロナワクチンに対する非科学的な情報の錯綜を見ると、世の中の大半の人は情報に踊らされた状態で決断を迫られていることの気付かされる。僕自身はたまたま正確な情報を知り、解釈できる立場にあるが、そうでない人たちは一体どうやって人生を泳いでいるのだろうか。
科学もある種の宗教であることは自覚しているが、現状ある科学に基づいて発展している今の文化では、基本的に科学の知識に則って行動していれば、現状を把握できる確率は高いと自分は信じている。
一方で、科学を礎としない宗教や、宗教間の薄い環境にある人たちは、誰かに教えを乞うしかない。それが経典だったり、マスコミだったり、近くの友人だったり、インターネットだったり。ある種の権力と呼ばれるものを信じて、鵜呑みにすることが彼らの行動原理となる。
このご時世、情報ソースは多様化し、マスコミの弱体化やインターネットの台頭も伴って、正しい情報と判断できる材料が薄れている。もはや自分が正しいと思った情報が正しいというスタンスで、客観性や合理性が蔑ろになりつつあると感じている。
権力に伴う情報ソースは権力者の利害関係を孕むことが多く、その因子を排除した情報や判断というのも難しい。反政府主義、反ワクチン派やビーガンが一様に反権力主義に走るのは、権力をかざすものは必ず思惑を抱き、その口車に乗らない自分たちが賢く正しいと信じている行動原理が働いているのではないか。結局行き着く先は、ただただ民衆と逆方向、少数派を選んでいるだけで、選択肢の吟味は薄いように思える。
正しさを追求すると、宗教論は避けて通れない。