科学教の教義
私は科学教の信者である。
つまり世界の一部は科学によって説明しうる形に構成されていると信じている物の一部である。
若い頃は科学を理解しない人の気持ちがわからなかったが、科学が宗教の一種であると理解してからは、自分も同じ穴の狢であることを自覚した。
科学教の教義は多くはない。科学によって人々の生活を豊かにすることに励む。科学によって人を傷つけてはならない。科学を人を騙す手段にしてはならない。程度であろうか。
今もその教えに従い、日々研鑽に励んでいる。
科学はまたコミュニケーションツールの一種である。
知識のベースとなる経典を大学まで学び、その後も同様の研鑽を積んだコミュニティで会話を行うので、
共通言語となり老若男女で同じレベルの会話が可能である。
また、科学教を選ぶ人のパーソナリティもそれなりに偏るので、その点においてもコミュニケーションがとりやすくなる。
科学教の私がいまだに許せないのが、科学を騙ったビジネスである。
いわゆる似非科学と呼ばれたり、最近では美容に医療資源を導入することである。
若気の至るときから今に至るまで変わらぬ熱量で忌避している。と同時に少し感心したりする。
よくこんな出鱈目な宣伝文句が思いつくなぁと。
なんでこんなに忌避しているのかが今朝ようやく理解できた。
そうだよ、教義に反しているからだよ。
彼らは異教徒なのだ。私の敬虔な信仰心を踏み躙っているからだ。
私は教義に反することをしないように教育を受けているので、できない。
そのアイディアがわかない様にある意味洗脳されている。
そして同じコミュニティの中でしか生息していないので、
科学教を進行していない人に刺さる宣伝文句は思いつかない。
お金教には入っていないので、神聖なる経典をお金に変えようと思わない。
今の仕組みの中で頂けるものを給料としていただき、あわよくば特許料などがいただければ良い程度に思っている。
つまりこれは宗教戦争だ。異教徒を弾圧しようとしているのだ。
だからこの忌避感が消えないのだということに今朝気づいたのでポスト。
